先日「アカシュモクザメが深海で息を止めている」という興味深い研究に関するニュースが報じられました。
僕たちのような肺呼吸の動物が潜るときに息を止めるのは分かりますが、何故エラで呼吸できるはずのサメが息を止めるのでしょうか?
「そもそもシュモクザメは深海にいるのか?」という点も合わせ、色々と疑問に思う方もいると思います。
今回発表された研究では、この息を止めるという行動が、深海で体温を維持するために重要な意味を持っている可能性が示されました。
一体どういうことなのか?息を止めて潜るシュモクザメの秘密について深堀していきましょう。
解説動画:シュモクザメは深海で息を止める?ハンマーヘッドの新たな謎を徹底解説!
このブログの内容は以下の動画でも解説しています!
※動画公開日は2023年6月2日です。
シュモクザメは深海ザメ?
そもそも「シュモクザメが深海にいる」と聞いて違和感を覚えた人もいると思います。
世界で9種知られているシュモクザメのうち、今回実験に使われたのはアカシュモクザメというサメです。
日本近海にも生息し、複数の水族館で長期飼育されているので、僕らに最もなじみ深いシュモクザメと言えます。
そんなアカシュモクザメは「深海ザメ」として認識されることはないと思いますが、実は水深300mよりも深くにも現れ、1000m以上潜ったこともあります。
今回の実験でも、アカシュモクザメは夜の間に水深約400~800mほどまでの潜行を繰り返していることが分かっています。
ただし、これはシュモクザメに限った話ではなく、表層と深海を行き来するサメは多く存在します。
例えば、深海ザメとして有名なラブカも、駿河湾では夜になると浅い場所に浮上してきます。
こうした行動は日周鉛直移動と呼ばれ、アカシュモクザメやラブカの場合は、深みまたは浅場にいる獲物を食べるために行き来しているという説が有力です。
寒い深海にどう適応するか?
シュモクザメが深海に行くうえで一番の問題は、深海の低水温です。
アカシュモクザメは熱帯や温帯の暖かい海に生息するサメですが、そうした場所でも水深800mも潜れば水温は5度にまで低下します。
皆さんが気温20℃くらいの日に「今日は心地よくてランニング日和だね」と走り出して、しばらく走った後に気温が0℃になったら大変ですよね。
サメたちも同じで、体温が大きく低下した場合、視力、筋肉の運動、心機能が弱ってしまい、獲物を襲うどころか生命維持にさえ影響する危険があります。
特に、サメたち魚類はエラ呼吸なので、酸素を取り入れるために血管が集中している場所が冷たい水と直に接しています。しかも、水の熱伝導率は空気の25倍もあり、元々熱を奪いやすい性質をもっています。
そのため、温かい体内に肺を持っている空気呼吸の僕たちよりも、水中でエラ呼吸をするサメたちの方が、低水温の影響を大きく受けてしまいます。
では、この状況にどう適応するのか?色々と方法はありますが、今回は二つだけ取り上げます。
体温を体内で循環させる
一つ目の方法が、体内で発生した熱を逃がさないようにするという方法です。
体温は体の表面(魚の場合は特にエラ)から逃げやすいです。そして、熱は温度の差が激しいほど冷たい方に行きやすいという性質を持っています。
つまり、体内で温められた血液が、酸素を得ようとエラに流れる時に、外の水温との差が大きくて熱を多く奪われるんです。
そこで、エラから体内に向かう冷たい血液が流れる血管と、体内からエラに向かう温かい血液が流れる血管がくっついていれば、エラよりも体の内側で熱の交換が行われるので、エラ付近の血液と水温との温度差が縮まり、体温が逃げにくくなります。
こうした血管構造を奇網と呼び、ホホジロザメ、アオザメ、ネズミザメなどは、このような方法で体温を高く保っています。
さらに、彼らの血合い、つまり有酸素運動に使われ熱の発生源になる筋肉は他の魚よりも体の内側にあるため、血合が表面近くにあるブリなどよりも、体温を高く保ちやすくなっています。
ちなみに、サメではありませんが、マグロ類も同じ体内構造をしています。
体を大きくする
二つ目の方法はもう少しシンプルで、体を大きくすることで逃げてしまう熱を少なくする方法です。
先述の通り熱は体表面から逃げていくのですが、体が大きくなると、相対的な表面積は小さくなります。
例えば、1片10cmのサイコロがあったとします。
体積は「縦×横×高さ」なので1000㎤。表面積は一面が10×10の100㎠で、それが6面あるから600㎠です。
このサイコロを二つ繋げた場合、体積は10×20×10で2000㎤になりますが、表面積は10×10の四角が10面なので1000㎠。体積が2倍になったのに、表面積は2倍になっていません。
つまり、体積が大きくなっても表面積は体積ほどには大きくならないため、相対的な表面積が小さくなります。
動物の体温は体内で作られて体表面から逃げていきますから、体が大きくなれば、熱を作る部分が大きくなって逃げる部分が小さくなる、すなわち体温を高く保ちやすいわけです。
コップに入れたお湯がすぐに冷めてしまうのに、バスタブの場合はなかなか冷めないのと同じ理屈ですね。
実際、変温動物とされる爬虫類や魚類の中でも、コモドオオトカゲやマンボウなど体が大きい種は体温を高く保ちやすいことが分かっています。
潜水するシュモクザメ
今回の実験対象であるアカシュモクザメは、ホホジロザメ等が持つような対向流熱交換システムを持っていません。
そのため、どのように低水温に適応していたのかハッキリわかっておらず、「ただ単に体が大きいことによって体温が奪われにくいのではないか」という研究者もいました。
しかし、そうではなくて、「息を止めることにより体温を維持しているのではないか」というのが今回のメインテーマです。
研究チームは複数のアカシュモクザメの成魚にデータを記録する装置、バイオロガーを取り付けました。
このバイオロガーは、水深・水温という周りの状況に加え、サメの体温・運動量、身体的方位(体の角度や向きがどうなっているか)という複数の情報を記録するように設計されていました。
実際に計測すると、アカシュモクザメたちが深みまで潜るのは全て夜の時間帯で、水深400~800mという深みまでの潜水を繰り返していました。
潜り方のグラフを見てみると、水深110mより浅い場所では非常にゆっくりと緩やかな角度で潜水し、それ以降は海底にまっすぐ向かうような角度で速く潜ります。
潜水の一番深い場所で尾鰭の急な動きが確認されているので、やはりここでエサを捕食していると思われます。
そして、浮上の際は潜水よりも急な角度で水面に向かい、水深350~250m付近に辿り着くまで速い速度で泳ぎ続けます。その後は浮上の角度が緩やかになり、遊泳速度もゆっくりになります。なお、潜水開始からこの落ち着いた状態になるまでは約30分~1時間前後です。
深海でも体温に変化なし?
では、深海に潜ったシュモクザメの体温はどのように変化したのか?
表層あたりの水温が20~26℃ほどなのに対し、彼らが潜っていた深い水深は5~10℃。
仮に体の大きさをアドバンテージにして熱が逃げにくいとしても、ホホジロザメのように体温を保つ仕組みがないアカシュモクザメの体温はかなり下がってしまいそうです。
しかし、実際に体温のデータを見てみると、一番寒い場所を泳いでいる時でさえ、体温の変化がほとんどありませんでした。浅い水深を泳いでいた際の体温である26℃前後を保っていたんです。
低水温に入る速い泳ぎによる潜行の際、体温はわずか0.1度程度しか下がらず、その後の潜水と一番深い場所で過ごす時間は一定か、僅かに上昇していました。
一方で、浮上の初期段階で体温は毎分0.01~0.05℃というゆっくりしたペースで低下し、しばらく浮上して上昇角度が緩やかになる水深250~300mあたりで、毎分0.08~0.38℃という速いペースで体温の低下が見られました。
息を止めて体温維持をしている?
最も水温が低い場所にいた時に体温が下がらず、浮上した段階で体温の低下が確認されたという事実には、重要な意味があります。
もしアカシュモクザメが体が大きいことで体温をある程度保ちやすいだけだとしたら、水温の低い場所で体温が下がり、温かい場所に戻ることで体温も上がるため、体温変化は水深と相関があるグラフになるはずです。
そうなっていないということは、何か別の方法で体温低下を防いでいると考えられます。
そこで研究チームが辿り着いた仮説が、冒頭でお伝えした「息を止めている」というものです。
先程お伝えした通り、体温は体表面(特に表面積が広く血管が集中しているエラ)から逃げていきます。
そこで、「アカシュモクザメは低水温環境に入る際にエラを完全に閉じることで、体温の喪失を抑えているのではないか」というのが、研究チームが出した結論です。
このことは、潜水時ではなく、250~300mまで浮上してから体温が急に下がったことの説明にもなります。
潜水していた時に閉じていたエラを呼吸のために開いたため、エラ付近の血液が冷やされ、それにより体温低下が起きたとすれば、先程紹介したグラフのような体温変化が起きたことにも納得できます。
注意すべき点として、今回の実験で実際にアカシュモクザメのエラが閉じていたかどうかハッキリとは分かりません。
実際にその様子が撮影されたわけではないので、仮説を証明するには、胸鰭にカメラを取り付けてエラの動きを観察するなど追加の実験を行なっていく必要があります。
しかし、水深1000mほどの深さを泳いでいたアカシュモクザメのエラが閉じている様子が、過去にタンザニアで撮影されています。
現状他に有力な仮説もないことから、アカシュモクザメが体温維持のために息を止めて潜行していると言う仮説には一定の説得力があると僕は思います。
実際に見ていないとダメなのか?
ここまで聞いて、「実際にエラが空いているかどうか確かめてないのかよ」とガッカリした人もいると思うので、最後にそのことに触れておきます。
今回のニュースを報じる記事では「シュモクザメが息を止める」と言い切っていることが多いのですが、先程紹介した通り、本当にエラを閉じていたかは分かりません。あくまでデータから得られた仮説の段階です。
しかし、ここで強調したいのは、仮説だから当てにならないというわけではないことです。
例えば、『名探偵コナン』の主人公であるコナン君が事件を解く流れを考えてみます。
何故か犯罪が多発する米花町で殺人事件が起きた時、コナン君は現場の状況や容疑者の言動など、様々な情報をもとに犯人を絞り込み、小五郎のおっちゃんを眠らせて犯人を名指しします。
そして、自分の推理が正しいことを証明するために、犯行現場や手口を再現したり、当該の人物が犯人である証拠を提示します。
言い逃れできなくなった犯人はここで自供し、事件解決というのがいつもの流れです。
ここで重要なのは、コナン君の推理はあくまで仮説だということです。
コナン君は犯行の瞬間も犯人の顔も見ていませんし、犯行の一部始終を映した映像も存在しません(そんなものがあれば名探偵は不要です)。
しかし、だからといってコナン君の推理が信用できないかと言われれば、そんなことないですよね。十分な根拠に支えられた論理的な推理で犯人を特定し、警察を納得させ、犯人も自供しています。
そもそも、「実際に見てないからダメ」なんて言い出したら、現実の犯罪捜査も全て無意味になってしまいます。
科学の研究もこれと同じで、十分な根拠に支えられた論理的な説であれば、見た人がいなくて直観に反していても、それが有力な仮説になります。
例えば、「地球と太陽の距離はどれくらいか?」を考える時に、誰かがメジャーをもって太陽まで飛んでいって測ったわけではありません(測る前に消し炭になります)。しかし、様々なデータを総合して考えた結果、「約1億4960万km」という答えをだしているんです。
そして、あらゆる反対意見や反証実験を乗り越えて、さらに多くの数えきれない証拠に支えられた強力な仮説(例えば進化論や地動説)を、僕たちは「事実」や「常識」と呼びます。
恐竜が鳥になっていく過程を誰も目撃していませんし、僕たちが立っている大地は動いているように思えません。
しかし、科学的なあらゆるデータが、「進化は実際に起こる」や「地球は太陽の周りをまわっている」という仮説を支持しているんです。
こうした理屈を理解できない人が、「サルが人になる瞬間を誰も見ていないから進化論は誤りだ」や「本当は地球が平らかもしれないじゃないか」などとトンデモ論を主張し、自分たちの主張が進化論や地動説と対等だと思い込みがちです。痛々しい限りですね。
話をシュモクザメに戻しますが、今回の「息を止めている」という仮説が本当に正しいのかはまだ分かりません。
実際にエラを閉じているか撮影するだけでなく、呼吸を止めることによる低酸素状態に適応する仕組みも解明する必要があります。
しかし、現状に示されたデータは、その可能性が高いことを示しています。進化論や地動説ほど盤石ではありませんが、荒唐無稽とも言えないでしょう。
今後アカシュモクザメが深海で息を止めているというのが事実や常識と見なされるのか、それとも他の説が有力視されるのか、今後の研究にも要注目ですね。
参考文献
- Mark Royer, Carl Meyer, John Royer, Kelsey Maloney, Edward Cardona, Chloé Blandino, Guilherme Fernandes da Silva, Kate Whittingham, Kim N. Holland『“Breath holding” as a thermoregulation strategy in the deep-diving scalloped hammerhead shark』2023年
- 渡辺佑基『進化の法則は北極のサメが知っていた』2019年
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