以前の記事でニュージャージーサメ襲撃事件を解説しましたが、今回は日本で起きたシャークアタックの事例を紹介します。
僕より年上の方であればリアルタイムでニュースを見ていた方もいるかもしれませんが、日本でもかつてサメの襲撃や出没が相次ぎ、映画『ジョーズ』さながらのパニックが起きたことがありました。
僕は普段「”人食いザメ”というイメージは極端な偏見である」という発信をしていますが、サメと適切な距離感で共存するには、こうした痛ましい事例に目を向ける必要もあると思います。
- 一体何が起きたのか?
- どのように調査されたのか?
- 悲劇を繰り返さないためにどうすればいいのか?
今回は「瀬戸内海サメ襲撃事件」と呼ばれるシャークアタックを解説していきます。
解説動画:日本で起こってしまったサメによる被害を解説【人食いザメ】【巨大ザメ】【シャークアタック】
このブログの内容は以下の動画でも解説しています!
※動画公開日は2020年7月18日です。
事件の概要
1992年3月 松山沖 タイラギ漁での事故
1992年3月8日 愛媛県松山沖で悲劇が起きました。
被害者のAさんは潜水漁師としてタイラギ漁を行っていました。
タイラギというのは砂泥底に生息する大きな二枚貝です。近年では漁獲が大幅に減ってしまいましたが、かつては大きな利益をあげていた重要な食用種でした。
このタイラギ漁はヘルメット式の潜水服を着て作業を行います。
潜水服は空気タンクを背負うのではなく、通信ケーブル・エアホース・救助用ロープが船から繋がっている仕様です。
スキューバダイビングのように残圧を気にする必要はありませんが、ヘルメットからの視界はかなり狭く、砂泥に潜む貝を捕まえる過程で周りの水も濁るため、周囲にサメがいても気が付かないような状況でした。
事故が起きたのは午後15時20分ごろ、作業をしていたAさんとつながっていた通信ケーブルを通して「上げてくれ!」という声が船上に聞こえ、その後ガガガッ!という音と共に通信が途絶えました。
船上の乗組員たちがすぐに引き上げようとしますが、救助ロープはびくともしません。
その後、急に軽くなりましたが、通信ケーブルと救助ロープが切断されており、エアホースを引っ張って潜水服を引き上げると、大きく切り裂かれた潜水服と傷ついたヘルメットだけが残っていました。
通報を受けた海上保安部は「犯人はサメ」と発表し、現地の漁師さんによってAさんの捜索とサメの捕獲作業が始まりましたが、Aさんもサメも発見できませんでした。
マスコミはこの事故を「人食いザメに戦々恐々」・「瀬戸内を覆うジョーズの恐怖」など過激な見出しで報じ、周辺の漁業やダイビング業界にも大きな影響が出てしまいました。
専門家による種の特定
被害者も犯人も見つからず不安と混乱が大きくなっていく中、この事故はサメの専門家によって科学的な調査が行われることになりました。
残された潜水服や当時の海の状況をもとに、
- そもそも襲ったのは本当にサメなのか?
- サメだとしたらどの種が襲ったのか?
- サメはどのくらいの大きさだったのか?
などが詳しく検討されたんです。
潜水服の状態からサメと推測
潜水服は右胴部を大きく切り裂かれてズタズタになっていました。
肩のあたりにも切り傷があり、金属部分にも何かが貫いたような穴が空いていました。かなり大型の生物に激しく攻撃されたことが伺えます。
次に、切り裂かれたケーブルの断面や潜水服の肩当てに細かいスジのようなものが見られました。さらに、潜水服から米粒のような小さな歯の破片が発見されました。
この破片の縁がノコギリのようになっており、襲った生物は鋸歯(肉を切り裂くのに適したギザギザした歯)をもっていると判明しました。
人間を襲う危険性がある大型の生物としてシャチも候補になりますが、彼らは鋸歯状の歯をもっておらず、形状が大きく異なります。
残された歯の破片からして、この襲撃はサメの仕業である可能性が濃厚になりました。
傷跡と歯の形状からホホジロザメ説が有力
潜水服に残った傷跡からして、サメの口の大きさは約40cm、全長は5m前後と推定されます。
「鋸歯を持つ全長5mのサメ」という条件に当てはまるのはホホジロザメ(Carcharodon carcharias)とイタチザメ(Galeocerdo cuvier)くらいですが、ここでカギになるのが当時の水温です。
事故当時の海底は水温が12度℃程度でした。
イタチザメは青森以南の日本各地に生息しているとされていますが、基本的には熱帯や亜熱帯の温かい海を好むサメであり、水温12℃は冷たすぎます。
一方、ホホジロザメは奇網という特殊な血管構造によって、周囲の海水温より体温を高く保つことができます。北海道で漁獲されたこともあり、水温10℃ほどの海域に現れても不思議ではありません。
以上の理由から、Aさんを襲ったのは全長5前後のホホジロザメだと結論付けられました。
1992年5月 播磨 ホホジロザメの漁獲
1992年5月22日、兵庫県の播磨で大きなオスのホホジロザメが漁獲されました。
漁獲時の透明度は約8m、水温は14.7度。サメは網で引き揚げられた時点で既に死亡していました。
このホホジロザメは全長4.9m、体重1.1トンで、オスとしてはかなり大型でした(サメはメスの方が通常大きいです)。また、胃の中にはほとんど何も入っていなかったことが解剖で判明しています。
このホホジロザメが松山沖の襲撃と関連があるのかを知る術はありません。
しかし、この捕獲も先の事故同様に新聞などで報じられ、場所も日数もそこまで離れていないことから、このサメが犯人だとする憶測も流れました。
1992年6月 伊方沖 小型船襲撃
松山沖での事故から3カ月たった6月17日。
この日は、松山沖での事故をきっかけに結成されていた愛媛県サメ対策本部が解散した翌日でした。
松山から南西に60キロほど離れた伊方町沖で、漁師のBさんは約5m程度の木造船に乗ってアジ釣りの準備をしていました。
その時、突然「ドーン!」という大きな音とともに、船と同じくらい大きなサメが船首の方にぶつかってきました。
さらに、サメは船を執拗に攻撃し、大きな口を開けて船に乗り上がるように襲いかかってきました。
絶体絶命に思える状況でしたが、Bさんは船にあった道具で必死にサメを叩いたり突いたりして反撃し、どうにかサメを撃退しました。
伊方沖で船を襲ったサメの特定
幸いにもBさんは噛まれたりすることはありませんでしたが、後にサメの研究者である仲谷先生が取材を申し込んだところ、「もうあんな恐ろしいことは思い出したくないのでお話しできません」と断られてしまったそうです。
しかし、実際に襲われた船を調べることで、犯人の手がかりを得ることは可能でした。
噛まれたという船の右舷にはたくさんの切り傷が残っており、船底にはサメの歯が突き刺さっていました。
調査の結果、この歯はホホジロザメの下顎歯であることが判明しました。
残された歯の大きさからして、この船を襲った犯人も全長5m前後の巨大なホホジロザメであったと結論付けられました。
ただし、Aさんを襲ったサメと同じ個体なのか、それとも播磨で漁獲された個体が犯人だったのか、その一切は今も分かっていません。
サメの事故をどう防ぐか?
今回のようなサメによる事故は非常に稀であり、事件発生から今に至るまでメディアが発してきた”凶暴な人食いマシーン”というサメのイメージは誇張された偏見です。
しかし、今回のような悲劇が起こってしまったこともまた事実なので、ここでは今回の事件に絡めながら、サメに襲われない対策を考えていきます。
大きなサメが複数回現れた場所や一度人がサメに襲われた場所を避ける
松山の事故発生より少し前の1月と2月、現場に近い海で潜水漁をしていた漁師がサメを目撃しています。
このサメの種や具体的なサイズは不明ですが、サメはかなり大型で、漁師が急浮上して船に戻るまで周りをグルグルと回っていたそうです。
また、渥美半島や宮古島で起きたサメの襲撃でも、事故前に近海で大型のサメが目撃されたり、事故が短い期間に連続したりします。
サメに何か問題があったのか、当時の海の状態がそうさせたのか、詳しい理由は不明です。
しかし、一度事故があったり大きなサメが目撃された場所では、しばらく潜水を避けるか十分に対策をして潜ったほうが良いと思います。
ここで言う「大型のサメ」は、全長3m前後です。
サメは成長具合で食性が変わることもあり、ホホジロザメは3mを超えるあたりから海棲哺乳類を食べる割合が高まります。実際に人を襲ったサメの多くは2.8~3m以上だとされているので、3m近いサメを見たら特に注意が必要です。
サメを刺激するような音や臭いを出さない
タイラギ漁では砂に潜む貝を掘り起こすように獲っていくため、砂が舞い散る中で不規則な音を立てながら作業をしていたと思われます。
特に危険とされるホホジロザメ、イタチザメ、オオメジロザメも必ず人を襲うというわけではないですが、透明度が悪い環境では人の影を獲物と間違えて攻撃してくるかもしれません。
また、低周波の音や動物の出す臭いなどに刺激されてサメが近づいてくる可能性はあります。
漁師さんも生活が懸かっていますし、襲われた原因が透明度や音だったのかハッキリとは分かりません。ただ、「不用意に暴れたり魚を傷つけたりするとサメの気を引くかもしれない」ということは覚えておきましょう。
春先のダイビングは要注意?
3~5月は、大型のホホジロザメと遭遇しやすいかもしれません。
ホホジロザメはまだ謎の多いサメですが、妊娠した大型の個体が出産のために日本沿岸に来ることがあり、沖縄周辺では2~3月に、九州より北は4~5月にそれぞれの沿岸域で出産すると推定されています。
これが彼らの決まった回遊パターンだとすれば、春先は大型のホホジロザメと出会いやすい時期と言えそうです。
現に、今回紹介した松山沖の事故、その後に起きた渥美半島での事故は、ともに3月~4月に発生していてます。また、同じ時期に、沿岸の定置網で大型のホホジロザメや妊娠個体が複数漁獲されています。
ホホジロザメの繁殖についてはまだ謎が多く、この年だけ偶然多く出没したという可能性もありますが、用心するに越したことはありません。
- 大きなサメに気を付ける
- 単独で海に潜ったりしない
- サメを刺激するような行動はしない
これらの心構えは時期に関わらず重要ですが、特に春先は徹底した方がいいかもしれません・・・。
まとめ
以上が1992年に起きたサメ騒動の一連の流れでした。
これ以外にも日本国内でサメの事故は起きてはいますが、今回の「瀬戸内海サメ襲撃事件」は日本で初めて科学的に人へのシャークアタックが検証された事例でした。
サメ映画では「人が襲われた!でかいサメに違いない!とにかく仕留めろ!」みたいに乱暴に事が進みますが、現実はそんな単純ではないということはご理解いただけたのではないでしょうか。
事故を調査しても全てが判明することはなく、敵討ちができるわけでもないですが、科学的な視点から状況を整理し、さらなる被害を防ぐための対策を立てることは重要だと思います。
参考文献
- 仲谷一宏 『愛媛県松山市沖のホホジロザメによる死亡事故, および日本におけるサメ被害』1993年(2022年4月10日閲覧)
- 仲谷一宏 『サメ-海の王者たち-改訂版』2016年
- 仲谷一宏 『サメのおちんちんはふたつ ― ふしぎなサメの世界』2003年
- 矢野和成 『サメ 軟骨魚類の不思議な生態』1998年
※本記事は2022年3月までにWebサイト『The World of Sharks』に掲載された記事を加筆修正したものです。
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